NOGUCHI, Yasushi
Consul General of Japan in San Francisco
1990年、京都大学法学部卒業、外務省入省。元防衛省防衛政策局次長、元外務省在サンパウロ日本国総領事館総領事、元宮崎県警察本部長、元外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部軍備管理軍縮課長、元外務省中南米局中米カリブ課長、元内閣府参事官、元緊急災害対策本部被災者生活支援チーム事務局参事官等を経て、今年9月より在サンフランシスコ日本国総領事に着任。山口県出身。
世界の主要都市に置かれる総領事館は、その管轄地域の在留邦人の保護、政治・経済分野等の情報の収集、及び広報文化や教育に関する幅広い業務を担っています。
ネバダ州を管轄する在サンフランシスコ日本国総領事館に、9月8日に着任されたばかりの野口泰総領事は、10月22日にヘンダーソン市のウォーター・ストリート・プラザで行われた秋祭りに、祐子夫人とご参加されました。開会式では、赤い法被姿で舞台に上がり、ジャッキー・ローゼン上院議員やディナ・タイタス下院議員らと共にスピーチをされました。ご夫妻は、今回初めてネバダ州を来訪されましたが、秋祭りへの参加の後、ラスベガス市内を見学する時間もなく、サンフランシスコへとんぼ返りというお忙しさ。秋祭りの前日の深夜便でラスベガスに到着され、飛行機の窓から見たラスベガス一帯の煌めく夜景が印象的だったそうです。
今回は、秋祭りの酒パビリオンの会場となったライフガード・アリーナで、ご夫人と國井領事の同席のもと、インタビューをさせて頂きました。テイスティング用のお酒の香りに包まれる和やかな雰囲気で、様々な話題が飛び交うインタビューとなりました。
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⚫︎長所とキャリア
野口総領事の長所は、「誰とでも気さくに話せるところ」だそうです。これまでの経歴を拝見すると、その長所を活かしながら国家公務員として、国内外の様々な役職を務められてきたことが伺えます。
⚫︎スポーツマン
中学、高校、大学の学生の頃には、山口県高校国体選抜チームにも選出されるバスケットボールの選手として、ご活躍されていたそうで、背が高く、現在も現役選手のような逞しい体型を維持されています。秋祭りの開会式のスピーチは英語でしたが、スポーツ行事の開会宣言のような快活な印象を受けました。膝を痛めた後は、バスケットボールやテニスなど、膝に負担のかかるスポーツは控えているそうです。
総領事:「昔はいかにもバスケットボールをやっている体型ですね、と言われていたのですが、社会人になってからは体重が増えてしまい、ラグビーをやっていたんですか?と聞かれるようになりました」と笑う野口総領事。大学のバスケットボール部のマネージャーをされていたご夫人と出会い、超難関の外交官試験に合格後、ご結婚を経て、すぐスペインに赴任されたそうで、バスケットのドリブル、ジャンプ、シュートのリズムのようなスピード間だったというような印象を受けました。これまでは、単身赴任が多かったそうですが、お子さん達が大学生となり、ご夫人とサンフランシスコにいらっしゃることができたそうです。
⚫︎国際舞台を目指す
野口総領事は、山口県生まれ。総理大臣を最も多く輩出してきた県として、知られています。その中でも、野口総領事が卒業した山口高校は、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎など、歴代の総理大臣や外務大臣が卒業した高校です。宇山智哉元在サンフランシスコ日本国総領事※(在職:2018〜2020年)も、野口総領事の高校の先輩にあたるそうです。政治家を多く輩出してきた山口県育ちの野口総領事に、外交官を目指すきっかけをお尋ねしました。
総領事:「非常にドメスティックな環境で育ったので、その反動で仕事は国際社会を舞台にしたいと思いました。また、父親が警察官だったこともあり、就職を考えた時に一つの企業に務めるだけではなく、より広く、国益、公共の利益のための仕事をしたいと思い、外務省が一番その目標を実現するために適切な職場だと思いました」
※(ラスベガス・ジャパンタイムズ2019年7月号に掲載された宇山元総領事のインタビューはウェブサイトの「スペシャル・インタビュー」セクションから閲覧可能です。)
⚫︎明治維新と今
山口県(長州藩)は、明治維新の時代に活躍した志士の多い地域です。好きな歴史上の人物は、誰ですか。
総領事:「やはり吉田松陰とか、伊藤博文とか、明治維新の時代に活躍した人たちです。そうした人たちがいなければ、明治維新はできなかったかもしれない。そうすると、日本もほかのアジアの国と同じように植民地化されていたかもしれない。あの時代は、非常に重要なターニング・ポイントでした」
西洋からの力が押し寄せ、揺さぶられる日本を動かした長州。その歴史に、小さな頃から自然と触れて育った環境が、野口総領事の人生に影響を与えたのかもしれません。野口総領事は、高校で地理を勉強しながら、世界にいろんな国があることに思いを馳せるようになり、国際的社会に関心を持ち始めたそうです。長州や日本の歴史、私たちは先人の努力のもとに存在しているのだと感じました。
総領事:「今回着任した在サンフランシスコ日本国総領事館は、米国で初めて開設された在外公館として、日米のゲートウェイとなってきた歴史があります。さらに今、シリコンバレーがスタートアップなど新しい会社のゲートウェイとなっていることを重視し、そうした企業のサポートもしていきたいと思っています。日本政府も5年間でスタートアップ10倍増の目標をかかげており、シリコンバレーの存在に新たな注目が集まっていることから、そうした日本企業の取り組みを積極にサポートしていきたいと考えています」
野口総領事は、1月にラスベガスで行われる世界のイノベーションや最先端テクノロジーの見本市であるCESにも興味を示されていらっしゃいました。
⚫︎外交と防衛
野口総領事の経歴を拝見すると、在アメリカ合衆国日本国大使館、在ペルー日本国大使館、在サンパウロ日本国総領事館等での勤務のほか、宮崎県警察本部長、防衛省防衛政策局次長など、国内外の防衛と外交のお仕事に幅広く関わってきていることが伺えます。
在アメリカ合衆国日本国大使館への赴任中には、イラク戦争終結後で、イラク、アフガニスタンの復興支援に関する日米間の調整などの任務を担当されたそうで、これまで外務省の中でも比較的、軍備、軍縮などの安全保障に関する仕事を多く手がけてきたそうです。
総領事:「外交と防衛というのは、連携によって効果が生まれ、シナジーのある関係です。外交と防衛が車の両輪となって、日本の安全が確保されることになります。安全保障は非常に重要なものですから、防衛省での仕事はとてもやりがいの感じられるものでした」
⚫︎復興支援の現場
2011年の東日本大震災の際、内閣官房に出向していた野口総領事は、緊急災害対策本部の被災者生活支援チームを手伝っていらっしゃいました。特に、海外からの支援の受け入れの調整をされていたそうです。
総領事:「あの地震は、世界からもものすごく注目を浴びたので、海外の人が心配して、これが足りないと困るだろうと、支援物資がどんどん送られてきたんです。非常にありがたく心強く思いました。ところが、このマッチングがなかなか大変でした。例えば、こういう災害時には、外国の方も赤ちゃんのことを心配される。ミルクがなくて困っていたら大変だと、欧米では主流の赤ちゃん用液体ミルクを送って来られるんです。でも、日本では粉ミルクをお湯に溶かして飲ませるのが主流なので、需要のある物資のご理解を頂くまでに時間がかかりました」
なるほど。ニュースの映像をみて、いても立ってもいられず、現場で何が必要か、遠くから想像力で思いついた物資を送ってくださる親切な人たち。お気持ちはありがたいけれど…。
総領事:「これも文化の違いなんですけども、例えば、海外からの支援物資の食品や飲料水に、賞味期限の日付がついていますが、日本では通常「年月日」の順で表記するのに対して、アメリカは「月日年」、国によっては「日月年」と順序がバラバラなので、期限がいつなのかがわからず、受け取られた方の中には混乱されていた方もいたようだとの話も聞いたことがあります」
現場の人たちの溜め息が、聞こえて来るようですね。国際的な統一基準を、作って頂きたいですね。
総領事:「日本はこれまで、ODA(政府開発援助)でいろんな国に支援をしてますけど、援助を受けるというのも難しいんだということに気付かされました。援助するのも大変だけど、援助をもらうというのも大変なんだなと実感しました」
⚫︎「日本のひなた」宮崎県
野口総領事が、宮崎県警察本部長として宮崎県に赴いたのは、在サンパウロ日本国総領事になる前のことでした。プロ野球やラグビーの日本代表選手のキャンプ地などとして有名な宮崎県は、天気が良いことから「日本のひなた」と呼ばれます。その宮崎県で2年間過ごされた野口総領事は、有名な宮崎の和牛や地鶏、甘いトマトや野菜も、とても美味しかったとにっこり。でも、ここで日本の人口減少、超高齢社会の現実を、目の当たりにされたそうです。
総領事:「これは東京にいたら、分からないですね。高齢者の比率が高く、オレオレ詐欺なども、独居の高齢女性が一番狙われる。相談する人がいない場合が多く、こうした電話を受けると、気が動転されて嘘を信じてしまう。そういう話は、多かったです。それから、宮崎にいる間に、171ヶ所の交番、駐在所を全部廻りましたけど、よく聞いたのは、『去年、隣の小学校が廃校になりました』とか、『生徒の人数が少ないため、中学校が合併しました』といった話です。一つの高校では高校野球のチームも作れないので、三つくらいの高校が集まって、ようやく一つのチームができるケースもあるというくらい、人口減少は本当に深刻です。特に若い人が減っている。宮崎では、高校を卒業した若者が福岡などの都会に進学や就職で出て行きます。大学などを卒業した後も、宮崎に戻られない方も多くいらっしゃいます。そうすると、宮崎県に若い方が残らないことが多い。子供を産む女性も減っていく。出産する人が減るので、産婦人科も減少してしまい、そうすると子供を産みにくくなるので、若い人が住みにくくなる傾向も見られます」
若い人たちが町を離れる減少が、かつてないほどに深刻化しているというのが伝わってきました。
総領事:「こうした中で、宮崎県も人口減少を食い止めるべく、「まち」に仕事を作り、「ひと」を増やすために、大変な努力をされています。日本の地方というのは、宮崎県のみならず、どこもそこで作られるお酒や果物、肉などの市場を海外で増やす取り組みをされています。また、外国人観光客を呼び込みインバウンド需要を高めて、経済を活性化するように努力されています。こうした農産品の海外展開や外国人観光客の地方への呼び込みが地方活性化の切り札となっており、総領事館としてもできるだけの支援を行うことにしています」
秋祭りでの「酒パビリオン」開催の背景に、日本での市場開拓が難しい現状があるのは明らかで、宮崎県だけではなく、様々な県が、その土地の良いものを海外に売り込む競争が起きているようです。そのような新しい活路を見出す中、新たな工夫が必要になってきます。
また、こうした地方の状況に対応するため、国はデジタル庁なるものを設置し、遅れていた官公庁のデジタル化を急ピッチで進めています。地方のデジタル整備を進め、テレワークの本格化やホーム・オフィスなどの環境が整えば、人口減少が進む各県に、移り住む若い人が増えるだろうという期待があるからです。
総領事:「なかなか難しいんですけども、例えば、宮崎県に来て農業をやりながら海に出てサーフィンができる…。そんなIアイ)ターン移住者を支援するプログラムがあります。このデジタルトランスフォーメーションというのも、一つのきっかけなんです。地方に住みながら都会の企業に勤めることができれば…そういうふうに仕事だと思います。その時は幼かったお子さんも、今は大学生。
⚫︎「潮狩峠」
あまり読書家ではないと仰るものの、野口総領事は、学生の頃、人道的なテーマを題材にした本を読まれていたそうです。中でも、三浦綾子氏の「塩狩峠」には、自分の命を犠牲にしてまで、人の命を救うということがあるものなのか…と感動されたそうです。
⚫︎外交官試験
超難関とされる外交官試験。野口総領事は、2度目のチャレンジで見事合格されました。最初の試験が残念な結果でも、めげずに2度目に挑戦。努力が報われることを実感されたそうです。
⚫︎酒パビリオン
ライフガード・アリーナ中の「マーティン・コレフ・酒パビリオン」は、在サンフランシスコ日本国総領事館とネバダ日本祭り実行委員会(JFAN)の共催で出展され、日本産酒類のテイスティングを提供。このテイスティングを楽しみにしているリピーターも多く、賑わっていました。日本各地で作られた日本酒、ウィスキーのほか、焼酎や泡盛といった日本産の蒸留酒を使用したカクテルを試飲できる「カクテル・レセプション」も加わり、「酒パビリオン」は、日本の「SAKE」の魅力を広めていました。
総領事館は、「酒パビリオン」の運営のほか、会場内に設置されたインフォメーション・ブースで、日本文化、観光、日本語教育、JETプログラム、日本留学等に関する情報を提供し、國井領事と堀米領事が参加されました。
⚫︎ラーメンの味
野口総領事ご夫妻の秋祭りでの昼食は、会場内の「将軍ラーメン」。ご夫人曰く、「大好きな一風堂の味に似ていて、とても美味しかった」とのこと。強風の中、せっせとラーメンを茹でていた将軍ラーメンの鐘ヶ江シェフは、実は元一風堂ラーメンの第一人者。その味を感じられたという祐子夫人の繊細な味覚に驚きました。ちなみに、秋祭りには「楽」の遠藤シェフも毎年参加され、自ら屋台で焼き鳥を焼いています。ラスベガス秋祭りでは、会場内のフード・ブースも充実しています。
⚫︎終わりに
総領事:「特に何か困っておられる在留邦人の方にできるだけ寄り添うことが、総領事館の一丁目一番地の仕事です。何かあれば、どんどんご意見を頂きたいと思っています」
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今回の野口総領事ご夫妻のネバダ滞在では、ヘンダーソン市の秋祭り会場のあるダウンタウンのみのご訪問でしたが、次回は、ラスベガスをゆっくり訪れて頂きたいと思いました。(Noriko Carroll)
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